■ Private Lesson ■


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いつも、彼はそこに立っている。

後ろで手を組んで、窓の外を眺めている。

いつもそうやって、何を考えているの?


私が部屋に入ると、ゆっくり振り向いて、ほんの少し口許だけで笑って。



「・・・時間通りだな・・・・」


「はい・・・・。よろしくお願いします。」


「・・・始めるか。」



そう言って、大きなピアノの蓋を開ける。

真っ黒な、深い艶のあるスタインウェイのグランドピアノ。

私なんかが弾きこなせる代物じゃないんだけど。

いつもここで、彼と一緒に私を迎えてくれる。


ここでピアノを習うようになって3ヶ月。

以前は両親から教えてもらっていたのだけれど、仕事が忙しくて時間がなくなったという理由で、

父の旧い友人だという、彼、ルシウス・マルフォイ氏に教えてもらうことになった。


といっても、マルフォイ氏は別にピアノの教師をしている訳ではない。

けれど、そこらのピアノ教師より余程腕が立つのだと父から聞かされた。

彼だって決して暇ではなく、仕事であちこち駆け回っているというのに、

昔からの友人の頼みだから、と、引き受けてくれたのだ。


でも父は、人選を間違った。


彼は、綺麗すぎる。

プラチナに輝く長いブロンド、どこか冷ややかな、しかし美しいブルーの瞳。

その容姿と圧倒的な存在感と威圧感。

そして一挙手一投足にわたるまでの、隙のない動き。

譜面をなぞる指、目を伏せる仕草、


全てが綺麗すぎて、心を奪われる。レッスンどころではない。

その緊張は、いつまで経っても、全く消えることはなくて。



「・・・この間渡した曲は、どこまで練習した?」


背後からその低い声が響き、ドキっとする。


「あ・・・えっと・・・・一応、通して弾けるようには、なりました・・・。」


「ふん・・・ではとりあえず、最初から弾いてみろ。」


「はい・・・・。」


マルフォイ氏に、あの瞳に、後ろから見下ろされている状態で弾くなんて。

これでもかというくらい緊張する。

どうか、音を外しませんように・・・・。

そう、心の中で祈りながら、頭の中は真っ白で。

弾けているのかどうか、自分でも分からない。


「・・・もっとdoslceを意識して・・・」


更に声が降ってくる。

そんなこと言われたって・・・と思いつつも、必死で言われた通りに直す。


「・・・・そう・・・もっとだ・・・・そう・・・・・」


静かに、頷く気配を感じて、少し嬉しくなる。


「・・・そこはcantabile・・・・そうだ・・・・もっと歌って・・・・」



彼の声を聞きながら、ただただ夢中で指を動かす。

徐々に、頭が曲に集中してきたのか、初めの緊張は薄れてくる。

そして、彼が手元の譜面に視線を落としながら、時々発するその静かな声は、

次第に心地よく感じられるようになって。



「・・・・初めの辺りは自信なさげだったが、それなりに弾けてはいるようだな・・・。」


私が弾き終わると、彼はそう言って譜面から顔を上げる。


「2ページ目の14小節目・・・graziosoの意味は分かるか?」


「はい・・・・えっと・・・“優美に”・・・?」


「そうだ・・・・ここはそれをもっと表すように・・・」


「っ?!」



突然、彼が私の後ろから腕を回して、手本を弾いて見せる。

耳元で彼の呼吸づかいを感じて、心臓が早鐘のように打ち始める。

折角弾いてくれているのに、全然耳に入らない。



「・・・・分かったか?」


「・・・はい・・・・。」



絶対今、私の顔は真っ赤だ。



「では、弾いてみろ。」



指が震えて思うように弾けない。



「どうした?・・・落ち着いて弾けばいい・・・。」


「はい・・・。」



落ち着こうとしても、指が言うことを聞かない。

何て罪な人だろうと、彼の顔を見上げて思う。



「・・・仕方ない・・・ここは次までの課題だ。練習しておけ。」



小さく溜息をついてそう言われると、情けない気持ちで一杯になる。

どうしてこんな恋をしてしまったんだろう。

こんな、不毛な恋。

叶うはずもないのに、一人で勝手に振り回されて。

ほんの些細なことで、こんなに心を乱されて。

そんな自分が、情けなくて嫌になる。



「・・・・?」


「っ!・・・はい・・・」



突然名前を呼ばれて、思わず間抜けな声で返事をしてしまう。



「上の空だな・・・調子でも悪いのか?」


「や・・・そんなことは・・・ないです・・・すみません・・・・。」


「・・・・・・今日はもう・・・終わりにするか・・・。」


「えっ?!・・・でも・・・まだ・・・・あの、ちゃんと弾きますから・・・・」



怒らせてしまったのだろうか。

折角忙しい中、時間を割いて教えてくれているのに、私が集中しないから・・・



「・・・いや、今日のレッスンは終わりだ。」


「っ先生、ごめんなさい、わたし・・・・っ」


「。」


「・・・はい・・・?」


「今日は・・・君の誕生日ではないのか?」


「え・・・・あっ!・・・忘れてました・・・え、でも、どうして・・・・」


「君の父君から聞いた。自分は仕事で家に帰れないから、祝ってやってくれ・・・とな。

 まったく、つくづく勝手な親だ・・・。」



そう言って、彼は苦笑する。

自分の知らないところでそんな会話が交わされていたなんて、

少し恥ずかしいような、でも、嬉しいような、変な気持ちだ。



「・・・祝えと言われても、昨日聞いたもので、特別なことはできないが・・・

 何か聞きたい曲があれば、弾いてやろう。・・・私のピアノでよければな。」


「・・・・え!・・・い、いいんですかっ?!」


「ああ。大した祝いにもならないが・・・」


「そんな・・・・っ・・・勿体無いくらいです、先生にピアノ弾いてもらえるなんて・・・っ!!」



思わず立ち上がって、あからさまに喜んでしまう。



「・・・そうか・・・では、何がいい?」



そんな私を見て、また苦笑しながら彼が訊く。



「えーと・・・じゃあ・・・・先生の、好きな曲!」


「・・・なんだ、いいのか?それで・・・・。」


「はい!その方が、嬉しいです・・・っ!」


「そうか・・・」



そう言って、椅子に座り、鍵盤にその長く、美しい指を載せる。

彼の表情が一瞬、止まる。

周りの空気が、張り詰める。

そして、次の瞬間。



ピアノが、歌い出す。



そして私は、思い知らされる。




不毛でもいい。この人に恋できるなら。




本気で好きになったのも、彼のピアノを聴いた時。

こんなに心を揺さぶるピアノを、私は他に知らない。

その指先から紡がれる音は、緻密で、だけど情熱的で。

釘付けになる。

その音に、巻き込まれる。



彼の動くのに合わせて、揺れるその長い髪。

涙が出そうになるのを我慢する。



不毛でも、情けなくても、好きにならずにいられない。

いつか、この想い伝えたら、彼を困らせてしまうだろうか。



今はただ、この音に耳を傾ける。



今だけは、私のために、歌い続ける、この音色に ―――








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