後悔している、ことがある。 思いを馳せるたび、胸が、ちぎれそうに痛む。 だから、わざと気付かないように、心の奥の奥へ隠した気持ち。 隠しても、決して消えるわけではないと、分かっていても、そうするしかない、弱い自分。 もう一度、あの頃に戻れたなら・・・・ もう一度、やり直すことが、出来たなら・・・・・ その日、もう随分日が高くなってから、はようやくベッドから起き上がった。 昨夜はなかなか寝つけなかった。ストレスが溜まっているのかもしれない。 このところずっと気分が下がっている気がする。 何も、考えたくなかった。そういう時に考え事をするとロクなことがない。 自分の中の汚い感情にどんどん支配されて、どうしても思い出したくないこと、隠したはずの気持ちが押し寄せてくる。 は溜息を一つ吐くと、キッチンへ向かった。 グラスに、薄い碧色のサラリとした液体を注ぐと、一気に飲み干した。食欲は全くない。 足元に、子猫が一匹、可愛らしい鳴き声を上げてじゃれついてきた。 数週間前に何処からともなく現れて、一度餌をやって以来、住みついている。名前はまだ付いていない。 猫にミルクをやりながら、はぼんやりと窓の外を眺めた。 よく晴れた日で、日差しが眩しかった。もう春が終わってどんどん夏が近づいて来ている、そんな天気だった。 は何だか、取り残されているような気持ちになった。 とどまることなく、季節は巡る。今、こうしている時も、時間は絶え間なく流れている。 なのに自分の時間は止まったままで、そんな自分が、どうしようもなく異質な存在に思えた。 の時間は、2年前に止まったままだ。 恋人を失ってから2年間 ――― 自分がどうやって生きてきたのか分からない。 自分の意思とは関係なく、時間は過ぎて、ただその流れるに任せて現在に至っているという感じだった。 思い出したくない、けれど抜け出せない、心を、今なお縛り続ける記憶。 「 ・・・・っ 」 は何かから逃れようとするように首を左右に振り、立ち上がった。 出掛けよう。とにかく何かしていなければ、またあのドロドロした感情に押し潰されてしまう ――― 。 特に何と言う目的もなく、はダイアゴン横丁までやって来た。 天気が良いのも手伝って、往来は賑やかだった。 マダム・マルキンの洋装店は、夏物の洋服を買い求めに来たらしい婦人達で溢れていたし、 フローリッシュ&ブロッツ書店では、かの有名なギルデロイ・ロックハートのサイン会が催されているようで、 こちらも、いつにも増して人でごった返していた。 は何か面白い本があれば買うつもりでいたのだが、この人の渦の中へ入る気はしなかったので、 軽く溜息をついて書店の前を通り過ぎた。 ――― と、 通りの前方の人ごみの中に、は見覚えのある背中を見つけた。 長身で、この初夏の日差しと街の喧騒に似つかわしくない、深い黒一色の装い。 そして、どことなく近寄り難い空気を纏い、足早に人波をすり抜けて行く後姿を、は衝動的に追いかけた。 「 ・・・先生っ! 」 何故、そんな行動をとったのか自分でも不思議だった。 10数メートル離れていたその背中に走って追いつくと、息を弾ませて声を掛けた。 「 っ・・・スネイプ先生! 」 スネイプと呼ばれた黒ずくめの男は、ゆっくりと立ち止まると、物憂げに振り返った。 「 ・・・・ミス・? 」 「 はい・・・お久し振りです。 」 セブルス・スネイプ ――― が3年前に卒業した魔法学校の教師だ。 魔法薬学を担当し、の所属していた寮の寮監も務めていたので、何度となく世話になっていた。 彼のその特異な性質と厳しさのため、多くの生徒からは嫌われていたが、は彼が嫌いではなかった。 魔法薬学という科目も好きだったし、スネイプの持つ冷たい影のような部分が、何となく好きだったのだ。 「 先生・・・お元気ですか? 」 「 まあ、変わりはないな。 」 表情を変えることなくスネイプは答えた。 「 何だか・・・先生、あの頃のままで、ホッとします。 」 「 ・・・どういう意味だ、それは・・・。 」 「 あっ・・・ごめんなさい、お気を悪くされましたか・・・? 」 少し眉根を寄せたスネイプに、が慌てて謝ると、スネイプは苦笑した。 「 いや・・・この年になると、3年やそこらでそう変わるものでもないからな。 」 「 そういうものですか? 」 「 そういうものだ。 」 少し会話が途切れると、どちらからともなく、ゆっくりと同じ方向へ歩き始めた。 先程まで、足早に歩いていたスネイプは、今度はの歩幅に合わせているようだった。 「 君は・・・少し変わったな。 」 「 ・・・・そうですか? 」 不意に、スネイプが前を向いたまま話し掛けたので、は少し驚いて聞き返した。 「 どこか・・・・苦しそうに、見える。 」 予想だにしていなかったスネイプの言葉に、はたじろいだ。 「 ・・・・そんな事は・・・ないですよ・・・全然 」 心の中を、言い当てられたようで、激しく動揺していた。 そんなの心中を知ってか知らずか、スネイプは更に続ける。 「 何かを・・・悔いているのか? 」 「 っ・・・! 」 決定的な、言葉だった。 二人の足が止まった。 は信じられないというような顔でスネイプを見上げ、スネイプは相変わらず表情を変えずにを見遣った。 「 ・・・・・そんな風に、見えますか?私・・・。 」 「 見当違いだったら、済まないが・・・ 」 「 ・・・・・・・ 」 顔を見合わせたまま、沈黙が流れる。 やがて、視線を逸らして、その沈黙を破ったのは、だった。 「 先生・・・例えば、の話なんですけど・・・。 」 再び、二人はゆっくりと歩き出し、は前を向いたまま喋り始めた。 「 ・・・すごく、大切な人が居て、もしも、その人が死んでしまって、 それが自分の所為かもしれなかったら、どうしますか? 」 「 ・・・どういうのだ、それは? 」 「 ・・・・その人も、自分のことをすごく愛してくれて、自分も愛していたのに、それを上手く伝える事が出来なくて、 」 いつだって、救われていたのは、私の方だったのに 「 もっと、ちゃんと言えていたら、死なずに済んだかもしれなかったのに 」 私の気持ちがはっきり分からないから 「 もっと早く、自分の気持ちに気が付いていたら・・・そんな事にならなかったのに 」 結婚を延ばして、出張先の外国で、死んでしまった 「 何一つ、伝えられなかった・・・ 」 どうして私だけ、生きているんだろう ――― そこまで喋って、は言葉を切った。 泣かずに話すのに、精一杯だった。 「 それが、君の悔いていること・・・か? 」 黙って聞いていたスネイプが、やはりの方は見ずに訊ねた。 「 ・・・例えば、です・・・。 」 「 そうか・・・。 」 スネイプは小さく苦笑し、そして、静かに話し始めた。 「 ・・・何を言わんとしているのか、全ては分からぬが・・・。 それで、自分自身の時間をも止めてしまってはならない。 」 「 ・・・・・ 」 「 どういう道にせよ、そこから前へ、進まなければならない。・・・己が罪を犯したと思うのなら、 それを悔いているのなら、自らその罪を背負って、生きて行かなければならない。そうすれば、 自ずと、為すべき事も見えてくるだろう。・・・それが、せめてもの贖いになる・・・・と、我輩は思っている。 」 はもう、涙を堪える事が出来なかった。次から次へと溢れて、止まらなかった。 進まなければいけない。どんなに願っても、もう、時間は戻せはしないのだから ――― 「 ・・・全く・・・一体何歳だ、君は・・・。 」 一向に泣き止む気配のないを見て、スネイプは溜息を落とした。 「 ・・・仕様のない・・・。 」 「 ・・・っ・・・・? 」 スネイプは、をローブで包み込むように、抱き寄せた。 「 さっさと泣き止め。・・・これではまるで、我輩が泣かせているようではないか。 」 「 ・・・・先生が・・・・泣かせたんですよ・・・ 」 「 ・・・・・・・・ 」 どれくらいの時間が経っただろう。日が、もう傾きかけた頃、二人は別れた。 別れ際、はさっきからずっと気になっていた事を、訊いた。 「 先生、 」 「 何だ。 」 「 ・・・先生も、何か、悔やんでいる事が、あるんですか? 」 スネイプは、その問いには答えなかった。ただ、その整った顔を歪めて、微笑った。 は、それ以上訊く事は、出来なかった。 彼のその微笑った表情が、何故かとても、胸に刺さったから。 スネイプと別れ、一人で歩きながら、の心は不思議なくらい静かだった。 微かな痛みは消えないけれど、もうあのドロドロした思いは、キレイになくなっていた。 家に帰ったら、あの猫に名前をつけてやろう。 そうして、次の休みには、あの人の眠る場所へ行こう。 あの人の好きだった、白い大きな、百合の花を持って。 【back】 |