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Early bird
朝から、一定のリズムで雨が降っていた。それは夜半過ぎから降り始め、一向に止む気配を見せず、ただ、同じ速度で降り続けていた。 スネイプの自室がある地下室にまでは、雨音は当然聞こえはしなかった。が、どこか湿気を含んでひんやりとした空気を肌に感じる朝だった。 暗闇だった空が少しずつ白み始める頃、スネイプは起床し、身支度を整えると部屋を出る。生徒達も、ほとんどの教師達も、まだ深い眠りの中に居る時間である。しんとした回廊を歩きながら微かな雨音を外に聞き、雨が降っているのだと気が付いた。雨の降る音や、通常より湿り気を帯びて冷えた空気は、嫌いではない。むしろスネイプの心をどこか落ち着かせるような気さえした。 雨は、嫌いではない。 スネイプが向かった先は、薬草を栽培する温室だった。朝一番の、日の出前にしか咲かない花を採るのが目的である。温室に足を踏み入れると、何種類もの薬草や、それらのつけた何種類もの花の匂いが混じり合って、如何とも表現し難い独特の薫りが鼻孔を突く。 この薬草はそろそろ間引きをしなくてはいけない、こちらの花は、2、3日のうちに収穫しなければ枯れてしまう、ああ、こっちのは良好だ…などと数多くの植物の状態を点検しながら、目的の花が植わっている場所へと進んで行く。薬草の手入れや植え替えなどは、薬草学の授業で生徒達の手でなされる事もままあるのだが、スネイプとしては、子どもの仕事では碌な事にならない上に、中には派手に失敗して貴重な薬草を悲惨な状態にしてしまう輩も居るため、できれば自らの手で行うか、そうでなければ薬草学の教授に責任を持って行って欲しい、と思っていた。しかしながら、その願いは半分以上、叶えられないものだったが。 目的の場所へ着いて、スネイプは薬草を採取しようと鋏を取り出した。と、突然、目の前の薬草の一かたまりがガサ、と音を立てて揺れた。そしてスネイプが身構える間もなく、背の高い薬草の群生の中から、人が飛び出した。スネイプは不意を突かれて一瞬呆気に取られたが、飛び出して来たその人物の顔を見るなり、うんざりしたような呆れたような表情で溜め息を吐いた。 「………Ms.、」 「あれっ、スネイプ教授?どうされたんですか、こんなに朝早く……」 「それはこちらの台詞だ。こんな時間から一人でかくれんぼですかな?」 葉っぱまみれで佇むに、スネイプは眉間に皺を寄せて厭味たっぷりに言う。薬草の茎が折れてしまったり、あまつさえこの時間にしか咲かない貴重な花が落ちてしまったりしたらどうしてくれるのかと、語気に込められる怒りは相当なものだった。そして、まさかこのような早朝から人が居ようとはつゆとも思っていなかった為、予想外に――しかも至極非常識なかたちで――そこに居た先客に対する軽い苛立ちも含まれていた。 「いえ、薬の調合に、この、花をちょっと使いたくて…。教授もですか?」 「いかにも、我輩もこれを採りに来た。だが、花を採るのに草の中へ潜らなければならないとは到底思えんがね。」 「あー、それがですね、ちょっと、うっかり杖をこの中に落としてしまったんですよ。」 全く悪びれる事なく言うを、とんでもない大馬鹿者を見るような目で一瞥すると、付き合っていられないという様子で首を軽く振り、さっさと自分の用事を済ませようと、取り出した鋏で、花に刺激を与えないよう注意しながら茎の部分を切っていった。器用に鋏を使い、迅速に作業を行うスネイプの手元を見ながら、は感心したように溜め息を吐いた。 「スネイプ教授、流石の鋏捌きですねー。見とれてしまいそうですよ。」 「……下らぬ事を言っている暇があったら君もさっさと収穫してはどうかね?しおれてしまってからでは―――」 「それくらい知ってます。」 「ならば無駄口など叩かず、やるべき事を終えてしまった方が賢明だと思うがね。」 「………朝からホントに口が悪いですね……」 「それは、褒め言葉として頂いておこう。」 「………」 は頬を少し膨らませて、取りつく島もない様子のスネイプの顔を睨むように見つめた。そうこうしている間にもスネイプは必要なだけの花を収穫し終え、のことなど一切気に掛けず、早々に引き上げようとする。は慌てて後を追う。 「あ、待って下さい!」 まだ何か用かとばかりに不機嫌そうにスネイプは振り返る。ただでさえ朝から気分を害されたというのに、この上何か面倒でもかけられようものなら冗談ではない。常々、この若い女教師に何かと調子を狂わされ、不本意ながらも彼女の起こす面倒のとばっちりを食らう事の多いスネイプである。彼のに対する言動のきつさはかなりのものだった。しかし、それは彼女には大した影響を与えているとは到底言えない状況だった。それもまた、スネイプの悩みの種である。 「スネイプ教授、この後、教授の部屋にお邪魔してもいいですか?」 「……何をしに、」 「一緒にコーヒーでも、と思って。」 「断る。」 「えー!何でですか?!」 「薬の調合をするのだ!当たり前だろう。大体、君もそうではないのか?」 「そんなもの20分で終わりますよ。折角こんな早朝からお会いできたのに、このまま帰るなんてもったいないです。」 スネイプは返す言葉もなく呆れたように溜め息を吐く。どうしてこの娘はこうなのか。こうも、何の衒いもなく好意を真直ぐに向けて来る者に出会った事などなかった。だからといって、別に切り捨ててしまえば良いものを、何故か対応に戸惑っている自分自身がスネイプは厭だった。苛立ちと、あきらめと、何か判然としない感情が入り交じって、咄嗟に返す言葉を失う。そんなスネイプを覗き込むように、は再び問いかける。 「行ってもいいですか?」 「………」 「…………」 「………好きにしろ。」 どうしてこう、いつもいつも彼女のペースに巻き込まれてしまうのか。一緒にコーヒーなどと、下らない。断ってしまえば、いや、断るべきだろうに、何故許可してしまうのか。眉間の皺を一層深くしてスネイプは自室へと戻って行く。半刻もすれば、がやって来るのだろう。また、面倒が一つ増えたと舌打ちをする。 ―――けれど、同時に、ほんの微かに、悪い気もしないでもない、という思いも無くはなかった。そしてそんな自分がまたスネイプにとっては非常に苛立たしいものでもあった。 (雨が降っているのは、唯一の救いか―――) 頭を巡る様々な思いを振り切るように、心の裡で呟きながら、スネイプは足を速めた。 (2006.6.1)
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