in the Rain


「何を、寝惚けた事を言っている。」

手元の書類から目を上げることなく、スネイプは言った。

その日は日曜で、は昼食を終えてから、スネイプの研究室にやって来た。生憎スネイプは仕事中で、構って貰えずは少々不満げな表情を浮かべてはいたが、彼の多忙なことは理解しているので、取り立てて文句を言うでもなく、読書などをして時間を潰していた。

そんなの様子に、スネイプは、折角の休日だというのに碌に構ってもやれない申し訳なさが微かに胸をよぎり、小さく溜め息を吐いた。

そもそも生徒と教師が“付き合う”などということに無理がある。いや、付き合っていると言えるような関係ではないだろう。は最高学年とは言え、まだ17歳。スネイプから見れば、下手をすれば娘にしか見えないような少女だ。
このようなままごとじみた真似をしている自分を、当然、馬鹿馬鹿しく愚かしく思わない筈はない。それでも、どこか惹かれる所があるのだろう。こうして、彼女が自分の側に居ることを許したのは、スネイプ自身が、彼女を愛しいと、必要だと思ったからに他ならないのだから。

「……余り時間はないが…何処か外へ行くか?」

不意に、スネイプが言った。は驚いて顔を上げる。
仕事が山積みなのではないかと気遣うに、スネイプは、急ぎの仕事はもうすぐ片付くから、そうすれば少し息抜きをしてもいいだろう、と、仕事の手は休めぬまま返辞してやる。

「じゃあ、海を見に行きたいです。」

返って来たあまりにも突飛な要求に、スネイプは思わず眉を顰めた。そして、冒頭の台詞という訳だ。

「時計を見ろ。もう夕方だろう。しかも今夜は雨だ。そんな日にわざわざ…」

「でも、夜の海って好きなんです…。少しでいいですから…」

お願いです、と必死な顔で懇願されると、普段全く行きたい所へ連れて行ってやれていないという引け目も多少あり、このまま切り捨てるのは余りに非情な気がして、承諾せざるを得なかった。

「……では、もう少し、待っていろ。」








もう薄暗くなりかかった海辺には、スネイプ達の他に人影は見当たらない。聞こえるのは、寄せて返す波の音だけ。

は、暫く黙ったまま水面を見つめていたが、徐に靴を脱ぎ、裸足で砂の上を歩き始めた。スネイプが制止するのも聞こえないふりで、は一人、波打ち際へ歩き出す。スネイプは溜め息を吐いて、その後ろ姿を見守った。

やがて、黒に近い灰色の空から、ついに雨が落ちてきた。
次第に、乾いた砂が雨を吸い込んでゆく。スネイプは持っていた傘をさすと、の名を呼んだ。
しかし、は戻らない。濡れるのを気にする様子もなく、相変わらず波と戯れる。

スネイプは連れ戻そうと、彼女の方へ向かいかけたが、何故か、一歩踏み出したところで足は止まった。何故か、動けなかった。
ふと見えた、の横顔が、泣いているように見えたから。雨の所為だと、泣く理由など何もないと、頭では分かっていても、胸が軋むような痛みを感じて、苦しくなった。

一秒ごと、濡れてゆくの長い髪。黄昏れ時の夕闇の中で、雨に打たれる細い肩はどこか痛々しい。

ああ、雨よ、どうかこれ以上、

「……っ、」

これ以上、彼女を、

っ!!」

突然大声で呼ばれて、思わず振り返る。
と、そこにあったのは、苦しそうな、悲しそうな、この上なく、切な気な、漆黒の瞳。

視線がぶつかり合ったまま、時が止まったかのようだった。雨音と波の音だけが、絶えず流れ続ける。
二人、立ち尽くしたまま、見つめ合う。

惹かれ合ったのは、互いの心の奥底にある暗闇が、共鳴したから。互いの中に、己の痛みや弱さを、見た気がしたから。いとおしめばいとおしむほど、胸が軋むのは、記憶の彼方で泣いている自分自身に、どこか重ねてしまうから。


ああ、雨よ、どうかこれ以上、彼女を、冷たく打ちつけないでくれ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


先に、動いたのは、だった。
ゆっくりと、スネイプの元へ戻ると、手を、差し延べた。細く白い手は、雨の中に居た所為か、酷く冷たくなっていた。スネイプは黙ってその手を取り、握ったまま、やはり暫く立ち尽くしていたが、やがて、手を引いて、歩き出す。

「……帰るぞ。」

ぽつりと一言そう言ったスネイプの声は、掠れていた。
は何か言いかけたが、それはスネイプに届くことなく、雨音に掻き消された。




(2006.5.27)




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