Loving you


扉を開けた途端、むせ返るような、花の薫りに包まれた。

部屋を見渡せば、溢れかえらんばかりの深紅の薔薇の花束で、埋め尽くされていた。
ちりばめられた花弁を、恐る恐る踏み付けて、扉を背にしてソファに身を沈める男の元へ歩み寄る。
男の背中は、先程から微動だにしない。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ルシウス、これは、どう云う事?」

近寄って、溜め息混じりに訊くと、数秒の後に、ルシウスは緩慢な動作で振り返り、斜め後ろに立つの顔を見上げた。ルシウスはその冷たく冴えた瞳を眩しげに細め、ふっと口許に笑みを刷く。

「綺麗だろう。」

部屋中に溢れる真っ赤な薔薇の花と、それに囲まれ微笑う優雅な男。似合い過ぎていて、むしろ可笑しくさえあった。
ルシウスに手を引かれて、隣に座らされる。その腕に抱き締められると、いつもの上等な香水の薫りに混ざって、どこか目眩のするような、独特の匂いが鼻孔を突いた。

「………ルシウス、酔ってるわね?」

道理で、いつもの、この男独特の冷え冷えとした鋭さが、今日は感じられないのだ。微睡んだような瞳で見つめ、どこか甘えるように柔らかく抱き締めるその仕草は、普段のルシウスからは想像できなかった。

「どれくらい、飲んだの?」

「………知らん。」

の問いに生返事を返したまま、離れようとしないルシウスに再び溜め息を吐きながら、視線をぐるりと巡らせると、部屋の奥にあるテーブルに、空になったブランデーと、ワインの瓶が転がったままにされていた。

「ちょっと…!あれ、まさか一人で?!」

は、絡み付いてくるルシウスから、無理矢理引き剥がすように身体を離すと、問い質した。
ルシウスはその問いには答えず、ただ、抵抗されたことに対して不服そうな表情でを見下ろした。
酔っているとはいえ、ルシウスは酒に弱い方ではないので、顔色はほとんど変わっていない。けれど、青灰色の瞳はやや潤み、普段はない輝きを宿している。それは、ルシウスの妖艶さを、普段の何倍にも増して見せた。
そのような表情で見つめられれば、自然と抵抗する気も失せ、半ば呆れたような、諦めたような溜め息とともに、は腕の力を抜いた。



首筋に感じるルシウスの体温が、いつもより熱い。
吐息とともに這わされる舌の感触に、の口からも、熱い息が洩れる。時折、強く吸われて走るチリ、という痛みに、頭が痺れるような感覚を覚える。そして首筋から耳へと舌は休む事なく這わされ、耳朶に感じるルシウスの息づかいに、背筋がぞくりと震える。

「ルシ、ウス……っ」

思わずその名が漏らされた口は、彼の口付けによって塞がれた。深く、熱い、口付け。飽きる事なく、何度も何度も繰り返され、静まり返った広間に小さな水音が響き渡る。
ルシウスの体温と微かなアルコールの匂い、そして、部屋を埋め尽くす、甘く色濃い薔薇の薫り ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ それだけで、意識は朦朧とする。

霞みかけた意識の中で、その尋常ではない数の真っ赤な薔薇の花束の存在に、はふと、疑問を抱いた。

「ねぇ…っ、この、薔薇、どうした…の?」

全身にルシウスの愛撫と口付けを受けながら、吐息混じりに訊ねた。

「………知らん。」

「知らないってこと…ないでしょ…こんな、」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ と、ある物が、の目に止まった。数秒の後、それが何であるか分かった瞬間、の頭は一気に冷めた。

ルシウスを跳ね退けるようにしてソファから立ち上がると、視線の先にあった一つの大きな花束を手に取った。のその行動に、ルシウスは、突然行為を中断されて興醒めだと云う風に溜め息を吐き、不貞腐れた表情で彼女の背中を見つめる。

が手にしていたのは、花束に添えられた、メッセージカード。そこには、

   “I love you, Dear my darling....”

女性と思われる文字で手書きされたそのメッセージカードは明らかにルシウスに宛てられたもので。
は床に投げられているいくつもの花束を、一つ一つ確かめた。すると、全ての花束に、それぞれ違う贈り主による、愛の込められたメッセージカードが添えられて居た。

「…………ルシウス、これは、何?」

十数枚にわたるカードの束をルシウスの眼前に突き付けて問い質す。
ルシウスは不貞腐れたまま暫く黙っていたが、やがて開き直ったように脚を組んで言った。

「突然、薔薇の花を見たい気分になった、と何人かの女に梟便を飛ばした。それだけだ。」

「……………はぁ!?」

「……だから、私が薔薇を見たいと手紙を飛ばしたら、女どもが勝手に持って来たのだ。私の知ったことではない。」

「…………………」

自分に非は微塵もないと確信しているルシウスの言葉に、は一瞬我が耳を疑ったが、酔ったルシウスならやりかねない……と、呆れ返って大きな溜め息を吐いた。

見渡せば、花束のいくつかは、乱雑に散らかされただけでなく、花弁が散らばって床を紅く染めている。その花弁の元となった花束を見れば、茎が無惨に折れたり花が潰れたりしている。おそらく、数人の女性が花を持って来て鉢合わせになり、揉めた結果だろう。

「………こんな事……持って来た女の人達に失礼じゃない…」

「知った事か。」

「あのね、ルシウス、自分を想ってくれる人の事は、もう少し大切に…」

「何故お前に説教されねばならぬのだ。」

「………いつか刺されても知らないわよ。」

「面白い…この私を刺すだと?出来るものならやってみろ。」

「…………」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ もっとも、」

「え?…っ」

不意打ちで、は手を引かれてルシウスの胸に倒れ込んだ。

「お前になら、殺されても本望だが?」

不敵な笑みを浮かべてルシウスが囁く。唇が、触れるか触れないかの距離まで近付いた。
と、次の瞬間、彼は顔面に勢いよく水を浴びた。テーブルの上にあったグラスの水を、が引っ掛けたのだ。突然の出来事に、ルシウスは呆気に取られた。

「いい加減にしなさいよ!この酔っ払い!!」

ルシウスは咄嗟に何も言い返せず呆然とを見つめていたが、はっと我に返って、苦笑した。

「……シルクのシャツが台無しではないか。どうしてくれる。」

「知らないわよ。」

「風邪でも引いたら、責任を取ってくれるのだろうな?」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ああもう、取ってあげるから、さっさと酔いを覚ましなさいよ!」

「ほう…それは、楽しみだ。」

可笑しそうに笑いながら、ルシウスは身体の力を抜いてソファにその身を沈めた。ようやく観念したらしい。そのまま目を閉じたルシウスを見下ろしながら、はもう何度目か分からない溜め息を吐いた。

「……本当にどうしようもないわね、この男……」

ぽつりと呟いて、苦笑した。

けれど、こんな男を、それでもいとおしく思ってしまう自分は、もっとどうしようもないな、と心の中で呟いた。



(2006.5.20)




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