■ Fall victim to the Love ■


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声が、聞こえる。頭の中で、鳴り止まない声。低く、甘く、耳許で囁く。


、」


静かに私の名前を呼ぶその声は、優しく私の心を抉る。厚い厚い襞となってこの胸に覆い被さるのは、罪の意識と、後戻りできない恐ろしさ。声の主を、縋るように見上げても、只、穏やかに微笑むだけ。そしてその微笑みは、限り無く優しく、限り無く残酷に、私を捕らえて逃がさない。













「どうした?浮かない顔をして」

柔らかい夕日を背に、ルシウスが訊ねる。けれどその声には、私を心配しているという様子は感じられない。いつものように穏やかな、温度の低い微笑を浮かべて、目の前の紅茶のカップをいつまでもぼんやり見つめている私を見下ろしながら云った。

「折角の上等な茶が、冷めてしまう。」

冗談めかして云って、自分の手に持っていた紅茶を一口啜ると、テーブルにカチャリとカップを置いて、私の座るソファに自分も腰掛けた。ルシウスが隣に座った重みで、私の身体が小さく揺れる。

「私が何か、お気に召さない事をしてしまったかな、お嬢様?」

ルシウスは、小さな子どもにそうするように、私の顔を覗き込む。そんな彼の態度に小さく腹が立つ。悲しいのも、苦しいのも、私だけ。ルシウスは常に余裕たっぷりで、それが崩れることは無い。そんな彼に、私は翻弄され続ける。自分が酷く滑稽に思えて、尚更惨めさが胸を突き刺す。

「……判ってるくせに、白々しい事云わないで。」

思わずルシウスを睨み付け、無意味な怒りをぶつけてしまう。そんな感情を彼に向けても、無駄であることは判り切っているのに。どうしても、感情を抑えられない。コントロールが効かない。こんな子どもがルシウスとまともに付き合える筈が無い。徹底的に感情を表に出さない、冷たく穏やかな微笑に全てが覆い隠されている。それで居て、他人の感情は尽く敏感に察知し、自分のいいように弄ぶ……そんな男と恋愛なんて、出来る筈が無い―――なのに、彼の気紛れが悲劇の始まり。放っておいてくれれば良かった。途方も無い片思いを、私が勝手に諦めるまで、放っておいてくれれば良かったのに―――。




「……ならば、やめるか?」

私の頬に手を当てて、冷たく青い瞳で私を見つめながら、ルシウスは静かに云った。

「――っ、嫌…っ」

瞬間、キスで口を塞がれた。

ああ、また、翻弄される。こうなる事は判っているのに。いつから、私はこんなに馬鹿になってしまったんだろう。ルシウスに飼い馴らされて、逆らう事など、まして、自分から檻を抜け出すことなど出来はしない。こんな自分が腹立たしい。私をこんな風にしたルシウスが腹立たしい。悔しくて、仕方ない。




けれど同時に、愛おしい。




「愚かだな、」

思う存分、何度も何度も深いキスをしてから、ルシウスは、私の耳許で、残酷な言葉を優しく囁いた。私の瞳から、静かに一筋流れた涙を、ルシウスは笑みを湛えたまま指でそっと拭う。そして今度は、首筋や、胸元に口付けを落とす。優雅に這わされるルシウスの唇と舌の感触に、元々碌に機能していなかった思考回路が完全に停止した。後はもう、唯々欲望に忠実に―――。

「……愚かだ。」

もう一度、そう呟くと、ルシウスは私の身体を抱き上げ、寝室へと歩いて行った。













夜中、目を醒ますと、ルシウスはもう居ない。そんな夜にももう慣れた。半覚醒の頭で、さっきの事は、夢だったのだろうかと思う。全部、夢だったらいいのに、と思う。そうすれば、胸が痛む事も、無益な涙を流す事も無いのに。禁断の愛は、いつか憎しみに変わる。そうなる前に、いっそ消してしまえたら――――

幾らそんな事を考えようとも、結局叶う筈もなく、進む事も戻る事も出来ないこの愛に、唯、溜め息と涙だけ。テーブルの上で冷たくなった二つのカップを片付けながら、それでもまた、彼に逢える事を願う自分が居て、どうしようもなく、悲しかった。


(2006.4.23)




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