■ 秋雨 ■


----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

木々の葉は暖色に染まり、しかし風は随分と冷たくなってきた。今日の空はどんよりと薄暗く、今にも雫が落ちてきそうだ。
ルシウスは仕事の手を休め、紅茶を口にしながら何気なく窓の外を眺めていた。3階の窓から往来を見下ろすと、
人々が慌ただしく足早に通り過ぎて行くのが見える。雨に降られないうちに急いで帰宅しようというのだろう。
時計の針は夕方の6時を指そうとしている。そろそろ皆、家路につく頃で、路地はいささか込み合っていた。



ふと、ルシウスはその雑多な往来の中に、見慣れた一人の少女の姿をを見止めた。



「―――?」



少女は、ルシウスの居る建物に向かっているようだった。小走りに、その小さな身体で人の群れをすり抜けながら。
何を慌てているのか、時々躓いて転びそうになる彼女の姿を見て、ルシウスは小さく苦笑した。そして飲みかけの
紅茶をテーブルに置くと、長いベルベットのローブを翻し、部屋を出た。



案の定、水滴が頬を濡らした。はハッと空を見上げると一瞬不安そうな顔になったが、すぐに気を取り直して
先を急いだ。今日は朝から嫌な天気だった。空気は冷たく張り詰め、どこからともなく風を呼んで来る。
ダークグレーの雲からは、いつ雨が降ってもおかしくないような空模様。こんな日は理由もなく気分が憂鬱になるものだ。
の向かう先は、郊外にある、黒い大きな建物。その目的は、ただ一つ。そこに居るのは、愛しい人。
この冷たい秋の夕暮れに、迷わず逢いたいと願う人。



「ダメだねぇ。」



黒い服をまとい、ぼうぼうと白い髭をたくわえて難しい顔をした初老の役人が、首を横に振る。



「だってお嬢さんねぇ、ここは許可証がなきゃ入れないんだよ、許可証。」


「だから、多分ここに来る道で落としてしまったんです。・・・でも、いつもは持ってるでしょ?
 おじさんも私のこと、知ってるでしょ?」



は必死で交渉する。しかし役人の顔は相変わらず難しいままで。



「でもねぇ、規則は規則だからねぇ。」


「そんな・・・・」


「ホラ、もう帰んなさいよ。雨も降ってきそうだし。落とした許可証探して出直すか・・・
 見つかんないんだったら、ホラ、明日にでも役所に行って再発行してもらったらいいよ。
 今日はもう、閉まってるだろ。」


「でも、私は今・・・」


「だから無理なもんは無理なんだよ。困ったお嬢さんだねぇ・・・」


「・・・・」



どうにも事態が好転しそうになくて、が思わず泣きそうな気持ちになった、その時。



「一体、何を揉めている?こんな門のど真ん中で・・・あまりみっともいいものではないな。」



白髭の役人の背後から、プラチナブロンドを靡かせた紳士が、その手に持った銀の杖の柄を役人の首に掛け、
低く、威圧的な声で咎めた。役人は突然のことに慌てふためき、ガバっと振り向くと、そこに立つその男の顔を見るなり、
思わず半歩ほど後ずさった。



「マ、マルフォイ様!し、失礼致しました・・・いえ、この女の子が、許可証もなく門をくぐろうだなどと
 不届きな真似をするものですから・・・・」



役人はしどろもどろになってに男に状況を説明しようとする。本来、このような所まで一人で降りてきて門番に直に声を
掛けることなどめったにないという地位の上司を前にして、余程慌てているようだった。



「黙れ。この子は私の客だ。」



ルシウスはを抱き寄せると、役人を睨みつけて一喝した。役人が肝をつぶしたのは言うまでもない。



「は・・・マルフォイ様の・・・お客人で・・・・」


「彼女に対する無礼の代償は、高くつくと思っていろ。」



そう言い放つと、ルシウスはやや困惑気味のの肩を抱き、建物の中へと消えていった。残された門番は、
その場にヘナヘナとへたり込んでしまった。



「ルシウス、なんで私が来るの、分かったの?」



3階の、ルシウスの仕事部屋のソファに座り、は紅茶を淹れるルシウスの背中に向かって問いかけた。
部屋の中にはアールグレイの香りが心地良く立ち込め、先ほどまでの冷たい外の風からやっと守られているようで、
はの心は随分と安らいだ。今日は特に来るという約束もしておらず、突然やって来て、しかも運悪く許可証を
失くしてしまい、やはり約束もないのに来るなんて間違っていた、今日はもう会えない・・・と思った所へルシウスが
やって来て、窮地から救ってくれたのだ。門番の役人には悪いことをしたと心を痛めながらも、嬉しくて仕方がなかった。



「人込みの中を一生懸命走っているお前の姿が見えたのだよ。」



ルシウスは器用な手つきで紅茶をカップに注ぐと、それを持っての方へやって来る。テーブルにカップを置くと、

の隣に腰を下ろし、彼女をローブで包み込むように抱き寄せた。反射的にビクっと身体を強張らせて心持ち頬を
紅潮させるの姿を、ルシウスはどうしようもなく愛らしく思い、苦笑する。



「え・・・見えるの?この部屋から?」


「東側の窓から、少し離れた往来が見渡せる。・・・偶々外を眺めていたら、お前を見つけた。
 ・・・・不思議なものだな。」



ルシウスは低い声で、の耳元に囁く。その吐息と低音が電流のように身体を流れ、はますます硬直して、
何も言えなくなってしまう。恥ずかし紛れに自らルシウスの胴に腕を回し、その胸に頬を押し付けると、ルシウスは子どもを
あやすかのように、いとおしそうにの髪を撫でる。



「逢いたかったの。」



が少し甘えた口調で、可愛らしく呟くと、ルシウスは黙って口元に微笑を浮かべた。



冷たい秋の風に吹かれて、突然不安が込み上げてきた。灰色の空を見て、涙が零れそうな心細さに襲われた。
逢いたい。ただ、逢いたい。そう思ったら、走り出していた。何もかも、忘れて。



「・・・逢いたかったの。」


「―――知っている。」



空がますます暗くなる。風がますます強くなって、冷たい雨が窓を打つ。



でも、もう、大丈夫。もう、今は。


(2003.10.17)






【back】